.第十五章 快不快システムと意志、感情
.意志と感情
さて、RSA回路の集合として脳をとらえると、高次の機能まで総合的に多くのことが解説可能になることを示してきた。しかし、ここまでに書かれてきたニューロンによって構成される電気回路としての人間像に強い違和感を覚える方も多いのではないだろうか。ここまでに書かれたRSA回路のみによるメカニズムにおいては、人は完全に連想の奴隷であり、自己の【意志】を実現できない。その上、上記のような情報処理システムとしての心は、余りに冷たく機械的であるが、実際の我々の心の内には、沸き起こる【感情】と言うものがある。そうした【感情】が彩りとなって躍動感溢れる自分自身を作っていると感じられる。そのような【意志】や【感情】など、人を人たらしめるような機能について、この章では解説していく� ��とにする。
.シナプス伝達修飾
ここまでは、ヘッブ則と呼ばれるニューロンの基本的なメカニズムのみを使って議論を進めてきた。しかし、【意志】や【感情】に関わるメカニズムを実現するには、それだけでは足らない。【意志】や【感情】を実現する上では、まず【快不快】を感じるメカニズムが必要となる。この【快不快】のメカニズムには、脳の生理学的な研究によると、シナプス伝達修飾作用と呼ばれる特別なメカニズムが関係することが知られている。このメカニズムさえ補足すれば、RSAモデルで【意志】や【感情】のメカニズムを解説可能になる。
さて、その「シナプス伝達修飾」のメカニズムの概要を解説しよう。ただし以下のメカニズムは既に生理学的に確かめられたものではなく、筆者の仮説を含んでいる。
既に解説した通り、図のようにニューロンには細胞体と軸索があって、いくつものニューロン軸索から、一つの細胞体が刺激を受け取り、その刺激の全体の強さがある程度以上になった時に発火を起こす。そして、次のニューロンに刺激を伝えていくという形になる。ここで、シナプス伝達修飾という現象においては、特殊な物質がその軸索−細胞体間に入り込んで、刺激の伝達効率を高めることになる。通常なら4つのニューロンからの入力があって初めて発火できるという結合状態においても、伝達修飾後は3つだけの入力でも発火するようになる、という具合に機能する。そうしたシナプス伝達修飾に関わる特殊物質には、代表的なものに、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンが挙げられる。
このような伝達修飾物質は、その物質ごとにそれを生成する特殊神経細胞が存在する。例えば、ドーパミンならドーパミンを分泌するドーパミン分泌神経が存在する。(これは生理学では普通ドーパミン作動性神経と呼ぶが、本書では分かりやすいようにドーパミン分泌神経と呼ぶ。)、その特殊神経細胞の軸索によって、脳内の特定部位にばらまかれる。そして、その部位にしばらく(と言ってもごく短い時間だが、ニューロンの発火が何回も起こせるに足る時間)残留して、ニューロン間の伝達効率を高める。
ここでの解説はかなり簡略化されたものである。
実際のシナプス伝達修飾は非常に複雑であり、そのメカニズムの全貌は解明されていない。少なくとも上記のように単純なものではないことが既に分かっている。
しかし、上のように機能していると単純化して考えると、以下の様々な結論がスムーズに導けるので、そうであるものとして議論を進めることにしよう。
(脚注:通常のニューロン間の刺激伝達においても、シナプス(細胞体−軸索間隙)では元々化学的な伝達が行われている。(本書では話しの簡略化のため、そうしたケミカルなプロセスには触れずに単に「刺激が伝達される」と述べるにとどめた。)そうしたシナプス間における伝達に関わる物質を神経伝達物質と総称する。シナプスでは非常に複雑な化学過程が営まれており、その全貌はまだ解明されていない。)
(脚注:ニューロンの進化とシナプス伝達修飾:ニューロンは元来「伝達物質の分泌細胞」が進化してできたものであると言われている。原始的な伝達物質の分泌細胞では、その情報の伝達が化学物質の分泌によってのみ行われるため、【速度】や【到達距離】、【情報伝達の複雑さが実現できない】などの問題があった。しかし、進化によって「『電気によって情報伝達を行う軸索』によって遠方で高速に特定の細胞のみに情報を到達させる」という特別なシステムを持ち、それ以前の分泌細胞の欠点を克服したのが神経細胞であると言われる。そのため、上述のような複雑な生化学的分泌形態を持っていることも、元来分泌細胞が進化してできたものである事を考えれば、神経細胞本来の特質が残った故の姿だと見ることができる。� ��
.快不快システム
さて、既に挙げた伝達修飾物質の三つドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンに関して、それが【快不快】のシステムに関係することを述べていこう。
●ドーパミンによる快システム
ヒトではどのように多くの蛋白質である
まずドーパミンについて述べる。
ドーパミンが快感に関係する物質であることは従来から知られていた。しかし、それがどのように脳に作用して快感を形作っているのかに関しては謎であった。以下では前節のシナプス伝達修飾作用に基づいてドーパミンが機能することによって快感システムが実現されることを述べる。だが、これはあくまで筆者の作ったモデルであり、実際にそのように脳が機能しているという保証はない。
上図のように、ドーパミン分泌神経は特定の感覚神経と結合を持っている。(この結合はRSA回路的なものではなく、先天的な結合であり変更はきかない。)ここでドーパミン分泌神経と接合している感覚神経は主として性感に関係する。性的な感覚とは言っても、性器への触感のみならず、身体接触による肌の感触なども含まれる。そうした感覚を生む神経信号パターンが入ってくると、それは一方では大脳新皮質のRSA回路集合網へ送られ、他方ではドーパミン分泌神経に信号伝達を行い、結果としてドーパミンの分泌を促す。
ここでドーパミン分泌神経の軸索は、主として前頭部と呼ばれるRSA回路集合網が連合野を形成している部分に伸びており、そこでドーパミンを散布することになる。すると連合野におけるニューロン伝達が活性化し、そこですでにサイクル活性状態にあるRSA回路は、その活性を保持しやすくなり、そうでないRSA回路はサイクル活性に入りやすくなる。また各感覚野には、そうした活性は届かないため、感覚入力の影響力が連合野において弱まる形になり、連合野において既にあった活性を起点として次々と想起が連鎖する形になる。つまりは、そのドーパミン散布の原因となる快感入力に関係のある事をぐるぐる考えるような状態になる。これは、その快感に関係する一連のRSA回路におけるニューロンが何度も同じパタ� ��ンで発火を行い、その発火パターンが長期記憶として回路に刻まれるという事につながる。
具体例で考えよう。赤ん坊が口にくわえさせられたおしゃぶりに吸い付く場合を考える。この時の感触は、口唇感覚と言って性感に関係し、そうした感覚パターンはドーパミン分泌神経の活動を促す。結果、「おしゃぶりに吸い付く運動出力とその口唇感覚」の感覚パターンを活性化したままになるので、赤ん坊はおしゃぶりに吸い付き続ける。つまりはその行動を好み選択することにつながる。そして、「おしゃぶりに吸い付いたという口への運動出力、その口唇感覚」のパターン連合が長期記憶として刻まれる。
(脚注:ここでドーパミンの作用はある程度持続するとしばらく効果を失うようにできているので、永遠にその快感が続くことはない。)
この際には「おしゃぶりに吸い付いたという口への運動出力、その口唇感覚」に関連のある記憶が連合野で次々と想起される。その中には「おしゃぶりに吸い付く前の感触」も時系列で残っており、それもパターン連合される。結果「口のおしゃぶり→吸い付く→口唇感覚」という記憶が形成される。この赤ん坊は以後口におしゃぶりの感触を感じたら、それから口唇感覚の快感記憶が想起されると、その想起は快システムによって強められる。そのため、記憶に従っておしゃぶりに吸い付く。そして、その結果としてまた口唇感覚を得、快システムによって記憶をより強く刻むという事を繰り返す。こうした学習によって「おしゃぶり→吸い付く」という反応は赤ん坊にとって当然の反応となる。これが「快に基づく欲求行動」の形成� ��カニズムとなる。
つまりは人にとっての【快】とは、その時点でのRSA回路活性状態が維持されることによって、記憶形成を促されることに等しい。そうした行動を繰り返すように記憶が形成される刺激、それが【快】であり、そうした【快】によって刻まれる時系列記憶が【欲求】となる。
●セロトニンによる快システム
こうしたメカニズムは、もう一つの快感に関係する伝達修飾物質セロトニンにおいても、基本的に同じである。ここでもまた筆者の仮説になるが、次のように考える。セロトニンの場合は、セロトニン分泌神経は、満腹、適温などの安らぎを感じるような快感に関する感覚パターンとつながっている。そして、その軸索は大脳新皮質全域におよび、そこでの興奮性と抑制性の刺激伝達両方を活性化する。そうすると、RSA回路が入力の鈍化を起こし(抑制性結合がその時点で生じているRSA回路のサイクル活性以外の入力を阻害する)、これによって、その時点での脳内活性状態が安定し、記憶が形成される。ただし、この場合は、入力の鈍化が起こるため、それ以降の想起が鈍くなり、思考が半分停止したような状態になる。
●ノルアドレナリンによる不快システム
次は【快】と対を成す【不快】のシステムについて述べる。
どのように多くの卵トカゲはありますか]
【不快】には、ノルアドレナリンと呼ばれる伝達修飾物質が関係する。ノルアドレナリン分泌神経は、飢え、乾き、痛み、過剰な暑さや寒さなどの不快に関係する感覚パターンにつながっている。そして、その軸索は大脳新皮質全域におよび、そこでの興奮性の刺激伝達を活性化させる。この結果、大脳新皮質全域において、RSA回路活性が起こりやすくなる。これは感覚入力に過敏になり、運動出力を増大させる効果を持つ。これは周囲の様子が気になり、そわそわした状態につながる。ここで外からの感覚入力というのは視覚にしろ聴覚にしろ、同一の刺激が入ってくるわけではなく、常に移り変わる刺激が基本的に入ってくる。そうした刺激にさらされた状態で、その感覚に従って様々な想起がめまぐるしく起こる結果となり、� ��こでのRSA回路活性は、同一のものが繰り返し想起されることがなく、基本的に記憶の強化につながらない。
(脚注:しかし、こうした不快による活性においても、既に強化を受けた思考回路により、ぐるぐると同じことを考えてしまうような結果になった場合は、その思考が強化を受けてしまう。これが、不安のさなかでイヤな考えを強化してしまい、抑鬱に陥るメカニズムであると思われる。)
ここで【不快】では安定せず、【快】では安定するとなるので、結果として【不快】から【快】につながるような時系列情報が記憶に刻まれることになる。この時系列情報が【不快】を避け、【快】を求めるという欲求を形成すると考えられる。
(脚注:こうした快不快による記憶形成助長システムは、さらに他のシステムによって増強される。このシステムは、中期記憶と呼ばれ、海馬と呼ばれる脳内器官によって実現される。この海馬のシステムに関しては章末のコラムを参照して欲しい。)
.欲求の発達
前節で見た伝達物質分泌神経は快不快に関係し、そうした快不快に関係する感覚パターンに固定的に接合されていた。つまりは、ここで快不快に結びつく感覚パターンは先天的なものであった。この先天的な快不快に、様々なパターン連合が生じることにより、様々な感覚入力(および想起)において、快不快システムが働くようになる。つまりは人が様々な事柄に対して快不快を感じ、欲求を形成していくようになる。
具体例を挙げよう。
例えば、母親にほめられる幼児の場合を考えよう。既に見たようにドーパミンによる先天的に快を成す感覚パターンには、母親との身体接触があった。これが幼児の快の原型となる。母親が接触によって幼児を評価すると、幼児はその評価された行動を快として記憶する。つまりは、行動と母親の身体接触を連合して記憶する。その後は、その行動を取るたびに、それが想起される。この際には実際の母親との身体接触時の触感より、弱い触感が想起され、実際に体験した時よりは弱く快システムを起動する。しかし、それが弱くとも、その時点で回路活性を安定化させるだけの力を持てば、その行動は再び選択され、その記憶は徐々に強化されていくことになる。こうして、その場その場で母親がほめてくれなくても、ほめられる行動� ��繰り返す。そして、幼児は評価を求める欲求を形成し、社会的な欲求を養っていくことになるわけだ。
●欲求が満たされない場合不快となるシステム
こうして欲求が発達すると、想起された欲求が満たされないために不快が起こるという欲求不満の現象が起こる。このメカニズムを解説しよう。
元々快の対極には不快があるように先天的に条件付けされている。例を挙げれば、満腹−空腹、熱い−適温というようにだ。これによって、既に形成された欲求を満たせない状況という場合、その後に不快なシチューエーションが生じる状況が生まれる。例えば、何か食べたいと思う→食べられない→お腹が空いてきて不快になってくる。というようにだ。これにより、欲求満たせない→不快という記憶が生まれ、人は想起による快だけでは満足できなくなり、今その時点で不快な状況になくとも、欲求が不快を想起させるようになる。つまりは欲求不満が形作られる。これに後押しされて、人は欲求の力を増大させる。
.欲望から意志へ
こうして、人は連合形成により、自分の内部に不快→快という方向性を持った記憶ばかりを強く刻みつけていくことになる。これが更に高度な連合形成によって意志を生み出すことを見よう。
快不快に関係する言語とも連合が進むと、人は特定の言語に対して快や不快を結びつけるようになる。例えば「おいしい食べ物」や「リラックスできる時間」などと言った文は、実際にそれを経験している時に、その文を想起することによって、文→快という記憶を作る。同様に「疲れて眠い」だとか「トイレに行きたいのに行けない」と言った文は不快に結びつく。
これにより、人は不快から快という状況推移を生む思考のチェーンを想起すると、それを強化するようになる。この際には、その場その場で即「不快→快」となる思考のチェーンを編むだけでなく、過去の経験に即して、「不快→未来の快」となる思考も編まれる。こうした未来の予測に基づく「不快→快」チェーンが意志決定を実現する。
●意志決定のメカニズム
細胞はサイズが限られている理由
例えば、太っているが故に不快な思いをしている人がいたとする。この人がダイエットを実行する時、その場その場で食欲を満たすことより、痩せて自らの魅力を上げることのほうを選ぶ必要がある。この時、この人の頭の中では、「食べたい」→「食べる【快】」→「太る【大きな不快】」、「食べたい。」→「我慢して食べない。【不快】」→「痩せられる。【大きな快】」というような思考のチェーンが編まれる。ここで、両者の選択肢は、快システム、不快システム、両方の発動を促すが、「痩せられる。」の選択肢ほうが、痩せた時の事を想像して強い快と結びついているなら、そちらでの快システムの発動のほうが強く脳内活性状態の安定をもたらし、その行動が選択され、強化を受けることになる。これが意志決定のメカ� ��ズムである。
(脚注:意志決定と迷い:こうしたメカニズムが働く際に、快となるとも不快となるとも言えないような選択肢が並び、特別大きな快につながる思考のチェーンが編めないと、特定の選択肢でのみ快システムが働き始めるということができず、様々な思考が浮かんでは結論がでないと言う状況になり、その人は迷い悩むこととなる。そして、過去の迷い悩んで決定できなかったが故に不快になったという記憶から、迷い悩むこと自体が不快となる。これにより、悩んでいる自分を認識すると、よけいに脳内の安定が確保しづらくなり、悩みを深めてしまうことになる。)
●意志の形成
ここで、この太っている人にとって、「我慢して食べない」という行動選択が十分に強化されたならば、それは「食欲を我慢する」という意志の力を持ったことになる。
元々は快不快に基づいて「我慢して食べない」という意志決定を行ったわけだが、この選択が十分な強化を受けた後なら、それに関わる快不快に関するチェーンをいちいち想起しなくとも、そちらの選択が自動的に行われるようになる。こうなった時、この意志による選択を行う主体にとっては、「意志」という力によって、その選択が行われるようになったかのように錯覚する。実際にはそうした選択が快不快システムの元で記憶強化を受けたに過ぎない。
このように思考の働きによって、人は短絡的な快へのチェーンを予測に基づいて不快となし、より高度な選択にチェーンをつなげて快となすことができる。そして、その快となる高度なチェーンが快不快システムによって強化を受けると、チェーンの中間にあった思考パターンが強化を受け、それが良質な選択を常に形成するようになる。このような良質な選択がたまってくると、それが『意志』を形作ることになる。この『意志』を持って動くようになったその人としては、本来はそうした意志決定に関する記憶が、次々に意志的な選択を生むのだが、そうした内部の情報処理は意識されないため、『意志』という特別な力によって、良質な選択が成されたように錯覚する。
さらには、この『意志』が欲求と渾然一体となって、意識の内に『自分の心の方向性を定める存在』=『自我』という自分自身の心のコアのような存在を感じることになる。
(脚注:こうした意志に関する結論は、『意志は、無意識では快を求め、不快を避けることに根ざしている』というフロイトの説に一致する。)
(脚注:意識的動機付け:上記のような意志の記憶がつらなると、意志による選択はこちらであるが、その場での欲求はこちらである、という意志と欲求の対立が生まれる。この時、人は基本的にはその場での欲求に負けてしまうが、そうした欲求に負けて失敗を繰り返し、それが不快であるという認識が十分に形成されると、意志の選択のほうをとろうとして、その意志選択から快に至るような思考の連鎖を編もうとする。これが意識的動機付けのメカニズムとなる。)
.問題解決
上記のような意志の機能によって、人の高次行動が形成される。そうした高次行動の一つに問題解決の機能がある。
まず問題とは何だろうか?問題とは期待と現状の差から生まれるものである。現状に満足しているか、もしくは現状を受け入れているならば、不満はなく、不満のないところに問題は生じない。現状を不快とし、それより快となる状況を想起できている状態において、問題が生じる。快となる状況を【目的】として、現状を【問題】と成すのだ。つまり、問題を解決するとは、不快から快への推移であると言える。前節のような意志選択のチェーンが非常に高度化したものが、問題解決のメカニズムを成すことになる。
例えば、学校で算数の問題を解く子供の場合を考えよう。こうした勉強における問題においても、それが快不快に結びついていることは同じである。算数の問題が解けるという事は先生や親から評価されるという事で快に結びつき、解けないという事は逆に評価が低下するため不快に結びつく。こうした快不快により、子供は算数の問題を前にして、その問題が解かずにいることは、先生に怒られるという事で不快に結びつくチェーンを編む。またその問題を解くということは、ほめられるかもしれないという事や、とりあえず算数の問題から解法されるという事で快に結びつく。このため、子供は算数の問題を解くことを【目的】とし、今まだ解けていないことを【問題】とする。
ここで子供は今までに培った言語記憶をパターン連合による創造性を伴って想起させることによって問題を解決する。つまりは、今までの【解法の記憶】=【問題を解く際に現れる言語時系列のパターン記憶】に従って、回答を創造する。ここでのメカニズムは基本的に言語の節で述べたものと何ら変わりはない。言語パターン記憶の蓄積から、新たな言語をつむいでいくだけである。子供の脳内では、【問題】によって不快システムが起動され、その影響によって、目の前の問題に基づいて、上述のような創造的言語想起が繰り返される。そして、その想起が【目的】である回答を見いだした時は、それが快につながり、そこでその問題解法のチェーンが記憶に焼き付くことになる。こうした算数に関する快不快のチェーンが焼き込ま� ��ることによって、子供はいずれ算数を解く意志を培う。いちいち快不快を考えなくとも、あれこれ言語パターン記憶を探らなくとも、算数の問題が解けるようになる。
こうした問題解決のメカニズムは、日常生活における問題においても、社会問題においても、基本的に同じである。そこで内容となる言語が変わるだけで、同じように快不快システムと、言語の機能によって、問題解決が実現されることになる。
.感情
さて、快不快システムが導くものには、意志だけではなく、もう一つある。それが『感情』のメカニズムである。人は喜怒哀楽に始まり、愛情驚き不安恐れなど様々な感情を感じる。しかし、こうした多様な感情は、最初は快不快の二感情であったものが、様々な連合を得た後に分岐生成したものであると考えられる。
乳児は3ヶ月ごろには快と不快に対する反応を示すようになる。ここでの反応は先天的なものであると考えられる。乳児は身体接触や甘みなど快となる刺激に対しては、にっこりした表情や笑いを見せる。また痛みや暑さなど不快となる刺激に対しては、泣く、手足をばたばたさせるといった反応を見せる。この際には、心拍の上昇や血圧の増加などを伴う。
これが6ヶ月ごろに至ると、不快の中から【怒り】、【嫌悪】、【恐れ】が派生する。これは不快となる状況のなかでも、運動(攻撃行動)によって解消される可能性があるものは、その運動出力への刺激を生み、これが【怒り】となる。また解消される可能性がなく先に持続すると思われる不快は【恐れ】となり、持続されず、回避しやすい不快に対しては【嫌悪】を生じるようになる。このように認知と快不快の合成によって、様々な感情が生まれる。
こうした感情には、その感情を経験した時に生じた感覚が連合されて、その感情の感覚を形作る。例えば、【恐れ】ならば、幼児が【恐れ】の生じた時母親がおらず、そのぬくもりを感じられなかったという経験から、「ぬくもりの無さ」=「寒さ」という感覚が連合される。これにより【恐れ】を感じている時は寒気を感じやすくなる。また他にも、【恐れ】と共に経験された事柄は、どれも【恐れ】を感じている時には想起されやすくなる。こうして、「【感情】と【その感情が生じた時に同時に経験された感覚】」が一体となって、我々の中に生じるあの複雑な感情の感覚が生み出されることになる。
多種多様な感覚がどのように分化生成するのかに関しては、まだ分からない面が多い。今後の発達心理学における研究が待たれる。しかし、どの感情も、先天的な快不快システムと、後天的な快不快に関する記憶の二つによって生じるものだと考えられる。
(脚注:脳の先天性と後天性:既に述べてきたように、脳はパターン連合による可変的な性質を持つRSA回路部分と、それ以外の変更の効かない固定的な回路の二つから成っている。前者が脳の後天的機能をつかさどり、後者が脳の先天的な性質を規定する。)
.次章へ
さて、ここまでで人の認知機能は一応全てのものを説明できたと思う。幾つかの特殊なメカニズムを付け加えたRSA回路集合網によって、人の様々な認知機能を実現しうることが示せた。
これは人が結局は物理的なメカニズムに基づいて動いているという事につながり、心身二元論を否定する。このような知見は従来の哲学問題に対して、新たな視点を与えることになる。
次の最終章においては、そうした視点に基づいて、今まで歴史上未解決なまま残されてきた哲学問題に対して、新しい回答を述べることにしよう。ここでは、使われる用語こそ新しいものになるが、そこで述べられる内容は古来の哲学的省察を踏襲していることが分かるはずだ。そうした新しくありながらも古い知見をもって本書を閉じることにしたい。
.コラム 海馬システム
さらに快不快による記憶は他のシステムによっても強化を受ける。それは海馬のシステムである。
最終章 哲学問題への回帰へ
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