明治学院非常勤後期第七回目。「アメリカ文学入門」は、19世紀アメリカの演劇・芸能について。1849年、アスター・プレイス・オペラハウスで起こった暴動は、死者22名、負傷者100名以上を出す大惨事となった。きっかけは、庶民に人気のある生粋のアメリカ人エドウィン・フォレストと、イギリス出身で上流階級に評価の高いチャールズ・マクリーディという二人の俳優が、同じ日に同じ演目(シェークスピアの『マクベス』)を演じると発表されたことだった。このことに怒ったファレスト側の観客は、マクリーディの公演を妨害しようと会場であるアスター・プレイスに押しかけた。背景には、第二次米英戦争(1812)をきっかけとしてイギリスからの経済的独立を成しとげたアメリカにおいて、経済的発展の恩恵を受けた富裕層 とそこから取り残された貧困層の対立があった。両者は国民文化のあるべき姿についても意見を異にしていた。
一方、ヨーロッパに残してきたフォークロアに代わるものとして、デヴィッド・クロケットやマイク・フィンクといった西部開拓者をもとにしたキャラクターが人気を博していく。また、1840年代にはユダヤ人、1850年代にはアイルランド人が新たに新天地を求めてアメリカに渡ってくる。それとともに、彼らを含めたさまざまな民族のステレオタイプが他者を「理解」する手段として流通しはじめる。なかでも、ミンストレル・ショーに見られるアフリカ系アメリカ人のステレオタイプは、新移民が「白人」として認められるための試金石となった。顔を黒く塗って黒人を笑う演者は、黒人ではない=白人であるという論理である。実際、ミンストレル・ショーにはアイルランド人、その後のブラック・フェイス芸能にはユダヤ人が多く� �わっている。
「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」では、ゾラ・ニール・ハーストンについて前回やり残したことをちょっと話したあと、ニューディール政策、スポーツ界におけるアフリカ系アメリカ人の参入の例としてジョー・ルイスとジャッキー・ロビンソンを取りあげた。
Zora Neale Hurston, "You May Go But This Will Bring You Back"
今日、最初に聞いてもらったのは、前回紹介したゾラ・ニール・ハーストンが歌を歌っている録音です。ハーストンが民俗学者としてアメリカ南部を調査してまわっていたことは、話したよね?南部でアフリカ系アメリカ人のフォークロアを集めながら、ハーストンは思った。わたしだって、南部のアフリカ系コミュニティに生まれたんだ。私が歌うものだって、フォークロアじゃないの・・・ってね。まあ、その通りなんだけど、調査する側の学者が調査結果として自分の歌を提出するなんて、ありえないでしょ。ちょっと面白いね。
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