失う不安がある人へ
プロスペクト理論に対抗するには
奪われる可能性のあるものは自分のものではない
私たちはたくさんのものを持っています。
家や車、家電、服、趣味の品、お金などの物質的なものから、信用信頼・仕事・地位・名誉などの目に見えない物、友人・知人・恋人・家族などの人間関係など、たくさんのものです。
ですがいったんものを手にすると、それが大事なものであればあるほど、思い入れが強ければ強いほど、失う恐れを生み出します。
これは人間なら誰しも、失う恐れを感じます。
手塚治虫のブッダ の中に、国一番の長者が、全ての財産を寺院建立のために寄進し、無一文になった時、言うセリフがあります。
彼は「毎日が幸せだ」と、「なぜならば失うものが何も無いからだ」と、言います。
最古の書かれた言葉は何歳ですか
全てを失って、初めて失うことの恐れから解放されるとは皮肉なものです。
実際私の経験からも、ものを持てば持つほど、不自由さが増して行った気がします。
今と比べて持っているものが少なかった学生時代のほうが、自由な感じがします。
そして何も持ってないがゆえに失うものがない子供時代が一番自由だった気がします。
なぜものを手に入れると失う恐れが出てくるのかというと、プロスペクト理論で説明されています。
プロスペクト理論とは、人は1万円儲かった喜びよりも、1万円損した痛みのほうを強く感じるというものです。
2倍以上痛みを感じるようです。
これをナシーム・ニコラス・タレブは、強さと脆さ という本の中でこう例えています。
「あなたに100万ドルの家とランボルギーニを与え、銀行口座に100万ドル振り込み、友人を沢山紹介して数カ月後に全て取り上げると、最初から何も持っていないよりもずっと惨めだ」
どうも人間の脳は喜びよりも痛みを強く感じるようにできているようです。
これが殆どの人が投資で損をする原因でもあるのですが・・・。
ジョブの何tipeは、古代エジプトにあった
このプロスペクト理論に対抗する方法の1つとして、
奪われる可能性のあるものは自分のものではない
と、よくよく肝に銘じて置くことがあります。
最初から自分のものだと思っていなければ、失うことになっても痛みが少なく済みます。
「自分のもの」が奪われるから痛みを感じるのです。
家や車、家電、服、趣味の品、お金などの物質的なものから、信用信頼・仕事・地位・名誉などの目に見えない物、友人・知人・恋人・家族などの人間関係は、自分のものではない、と最初から思っておけばいいのです。
奪われる可能性のあるものは自分のものではない
と私が考える根拠を説� �していきます。
結局、今生きている人は数十年したら死ぬわけです。
あの世には、家や車、家電、服、趣味の品、お金などの物質的なものから、信用信頼・仕事・地位・名誉などの目に見えない物、友人・知人・恋人・家族などの人間関係は持っていけません。
他人に奪われることはない、脳に入っている知識や知恵、知性やスキルなども、生きている間しか使えません。
つまり死んだら全て失うわけです。
殺人昏睡ケンタウルス座うしかい座
たった数十年で失われる・奪われるものが自分のものであるわけがありません。
強いて言えば、数十年の長期リース契約をしていると言えるでしょうか。
奪われる可能性のあるものは自分のものではない
ものの1つとして、私たちの命も当然含まれます。
結局誰しも、命を数十年リース?して、この世にいるわけです。
契約期間が終了したら命も肉体も返さなければいけません(笑)
そうかんがえると、人生も生命も不思議なものです。
全てを手にしても、何も持っていないかのように生きる、これが失う不安なく生きるコツです。
まあこんな小難しい事をするより、最初か ら最低限のものだけ持って生きるほうが楽かもしれませんが。
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